香港学習塾 epis Education Centre

わかば深圳教室

教室長ブログ

中国から学ぶこと

廈門の中山公園のバナナの花

日本に住んでいる日本人自身が、日本文化、日本の歴史、日本人について理解が足りず、外国人の方が客観的に分析できることがあります。日本は島国で陸続きの国々に比べ、人種、言語、文化の多様性の少ない環境であるため、直接的な比較をする機会が少ないせいか、自国を客観的に見ることに慣れていないように感じます。

同様に海外に住んでいる私たちは初めて海外を訪れた時には、その土地のことを客観的に捉えることができますが、日々の生活を繰り返していると自然とその土地に馴染んでしまい、改めて考えてみないとその国の特徴に気付けない場合もあります。それでも、考えてみれば、日本との大きな違いやその土地の特徴がはっきりと見えてくるものですが、私の住む深センはその点で非常にわかりにくい都市だと思っています。

深センの歴史といえば、1980年に鄧小平が経済特区に指定した時が歴史の始まりと言ってもよく、たった30年程度のことです。そのため歴史的建造物は皆無に等しく、深センに住んでいて「中国に住んでいるんだ」と強く認識することはほとんどありません。中国らしさと言えば周囲の人々が中国語を話していることだけです。その中国語も広東省でありながら、広東語ではなく、北京語(普通話)がほとんどです。

それはたった30年で急速に発展したことに由来しており、生粋の深セン人は少なく、湖南省を中心に他省から移住してきた労働者が多いために、広東語ではなく、共通語としての北京語が地域の言葉として使われているからです。高層ビルやショッピングモールが林立し、歴史的建造物がなく、地域の言葉を話さない人々が住む深センという街は、特徴の欠く、捉えどころのない土地だとも言えます。

廈門で感じた中国の豊かさ

先日、福建省の廈門(アモイ)に行く機会がありました。廈門は対岸に台湾のある要衝で、近代史においても今日でも非常に重要な役割を担っている都市です。

中国の歴史で言えば、中国共産党と中国国民党による国共内戦が生んだ争いが未だに解決に至らず、一つの中国が中国と台湾に分断された状態を目の前に見ることができる、深センとは一転して、歴史をそのまま引きずったような土地が廈門とも言えます。しかし、私が廈門で感じたことは、そのような政治的な対立による憎しみなどではありません。

中国共産党から台湾に追われる形となった国民党ですが、その国民党の結成の中心人物として活躍したのは孫文です。孫文は共産党からすれば政敵とも言える国民党の中心人物ですが、現在の中国でも尊敬を集め、孫文(孫中山)から名付けられた中山公園は中国各地至る所にあります。

廈門の中山公園では、人々が集い、思い思いの方法で夕暮れ時を過ごしている人々の光景を目の当たりにしました。ただただ談笑するグループ、散歩する親子、中国特有の遊び羽根蹴りをするグループ、トランプに興じるグループ。そこには、日常の慌ただしさや喧騒など皆無で、人生の1日1日をゆっくりと歩むように愉しむ人々ばかりでした。

孫文を祀る中山陵や、孫文にゆかりのある建物には青天白日旗を象徴するような青い瑠璃瓦が使われています。その色合いがなんとも平和的であり、その傍らで平和を象徴するような人々の行いは、中国の豊かさそのものを映し出す鏡とも言えます。

一般的に中国と言えば、マナーが悪い、トイレが汚いなどと小さいなことから、政治に関する大きなことまで、批判ばかりを耳にします。一方で「中国の良いところは?」と問われると、食べ物が安い、交通費が安い、偽物ブランド品が手に入ることなど。

日本人は得てして中国の小さな良し悪しばかりが目に付くようです。しかし、中国から学ぶべきことはそうした些細なことではなく、まさに大陸的に全てを包み込むような悠然たる人生観ではないでしょうか。

私は当の中国人でさえも、その中国の良さにはあまり気づいていないのではないかと思います。清代末期に中国が成し得なかった文明開化を今、急速に進められている感があります。

深センに住む子供達を育てるために


赤いプルメリア(深セン)

深センは経済発展の急先鋒と言えます。高層ビル、マンションが次々と建設され、地下鉄網も拡張し続けています。中国各地から多くの若者が深センドリームを追い求め集まり、自ら起業したり、ビジネスチャンスを見つけてチャレンジを続けています。

深センでは廈門のような歴史的な重みは感じません。歴史に縛られず、軽やかで開放的でチャンスに満ち溢れている元気な都市が深センです。そして、深センは語るほどの歴史がないというよりも、今、深センが都市としての個性を持つに至る成長過程にあり、そこに住む私たちも深センの個性を作り上げる歴史の真っ只中にいるのだということです。こんなチャンスは滅多にないと私は感じています。

しかし、深センに住む日本の子供達は、誇りを持って深センに住んでいるでしょうか。多くの子供達は深センに住む自分たちに誇りを持ってるとは思えません。なぜでしょう。深センに魅力がないからではありません。多くの大人たちが深センに住んでいることに誇りを持っていないからです。

大人の都合はともかく、子供達は住む地域を選択する自由がありません。10代までに過ごす土地に誇りを持つことができない子供達の精神的な発達、自己肯定感への影響は非常に大きいものと考えます。自分の住む土地を汚い、マナーが悪いと批判しながら暮らした人間が健全に育つでしょうか。

深センに住む私たち大人の使命として、子供達に自分たちが住む深センという土地、中国という国を好きになってもらう、ひいては自分たちをもっと愛せるようになるためにも、深セン、中国を理解し、子供達に伝えていく必要があると思います。日本の報道で中国批判をしたとしても、中国に住む我々は中国を批判するのではなく、そこから学べることにもっと目を向けていくべきです。

今年の夏期講習では、中学3年生に深センを少しでも知ってもらうべく、前海深港青年夢工場と大鵬古城という深センの象徴的な2箇所をめぐるツアーにでかけました。深センのことが、中国のことが少しでも好きになった彼らが将来世界の架け橋となってくれること、世界を舞台に活躍してくれることを期待しています。

「深センでこんないいところがある!」という方がいらっしゃれば是非教えてください。子供達をまた別な機会に連れていってあげようと思います。


教室長末木千尋

2011年12月に香港へ赴任。旧九龍教室、わかば深圳教室とで合計6年間勤務をし、2017年から再び深圳へ。きめ細やかなサポートには定評があり、時間が経つのも忘れついつい話し込んでしまうことも。本気で立ち向かう生徒の守護神として頼れるアネゴ的存在であるスエキチ先生は、衣食住どれをとっても刺激の絶えないここ深圳での生活がお気に入り。暑さには弱いが辛さには強い。好物は山椒のたっぷり入った激辛料理全般だとか。